エジプト基礎情報
社会経済情報など。
ローカルタイム:
社会経済指標
基礎指標
1.面積 | 約100万平方キロメートル(日本の約2.6倍)) |
2.人口 | 6,920万人(2004年1月)) |
3.首都 | カイロ(都市圏人口約1600万人、2004年) |
4.人種 | アラブ人 |
5.言語 | アラビア語 |
6.宗教 | イスラム教、キリスト教(コプト教) |
(外務省)30 Apr. 2007
経済指標
経済(単位 米ドル) | |
1.主要産業 | 農業(GDPの14.6%)、鉱工業(同17.5%)、貿易・金融・保険(同18.4%)、 石油(同12.9%)、運輸(同10.6%)等(2005年/2006年度) |
2.GNI(国民所得) | 893.36億米ドル(2005年) |
3.一人当たりGNI | 1,250米ドル(2005年) |
4.経済成長率 | 6.90%(2005/2006年度) |
5.物価上昇率 | (1)消費者物価指数 9.0%(2006年7月〜9月) (2)卸売物価指数 9.3%(2006年7月〜9月) |
6.失業率 | 10%(2005/2006年度暫定値) |
7.総貿易額 | (1)輸出 184億5,510万米ドル(2005/2006年度暫定値) (2)輸入 304億4,100万米ドル(2005/2006年度暫定値) |
8.主要貿易品目 | (1)輸出 原油・石油製品、原綿、衣料品、精米、非合金アルミニウム等 (2)輸入 燃料、中間財、原材料(原油、小麦)、消費財等(2005/06年暫定値) |
9.主要貿易相手国 | (1)輸出 米国、イタリア、スペイン、インド、ドイツ等(2005/06年暫定値) (2)輸入 米国、英国、フランス、ドイツ、スイス等(2005/06年暫定値) |
10.通貨 | エジプト・ポンド(LE) |
11.為替レート | 1米ドル=5.70エジプトポンド(2007年1月)(2003年1月以降変動相場制) |
(外務省)30 Apr. 2007
その他
エジプト・カイロ史年表
古代王朝末期以降
343 BC 古代エジプト最後の第30代王朝がペルシャに破れ、エジプトは、古代ギリシャ、古代ローマの属国になる。(エジプトの以外の国による支配の開始)
639年 ウマイヤ朝、アッバース朝の一部となる。イスラム化
969年 ファーティマ朝に征服される、その後、カイロがアイユーブ朝、ムルマーク朝の拠点となる。
1516年 オスマン帝国、エジプトを属州にする。
1798年 ナポレオン・ボナパルドによるエジプト遠征、西洋化が始まる。
1805年 アルバニア人モハメド・アリがオスマン帝国のエジプト総督(パシャ)に就任。ムハマド・アリー朝。
1813年 モハメド・アリ、軍事と科学を学ぶためヨーロッパに「遣欧使」を送りはじめる(〜1849)、 当時、カイロの推定人口は約25万人。
1869年 スエズ運河開通、建設費負担でエジプト政府破綻、政府保有株式を英国へ譲渡、エジプトは財政管理下に置かれた。
1882年 英国の保護国となる。
1922年 エジプト王国成立(2月28日)、英国の間接支配。
1861年 アメリカ南北戦争起こる(〜1865)。綿花の暴騰によりエジプトは潤う。
1862年 竹内訪欧使節団がカイロを通過。随員の福沢諭吉、著書『西欧旅案内』でカイロを紹介する。
1867年 渋沢栄一を含む徳川使節団、カイロを経由する。
1871年 ヴェルディのオペラ『アイーダ』、カイロで初演される。
1875年 借金に追われるイスマイルがスエズ運河会社の株式を売りに出し、これを電撃的に買い取ったイギリスが筆頭株主となる
1879年 破産したイスマイル、ヘディーウ位を追われ、エジプトは英仏の共同管理下におかれる
1881年 アラビー大佐率いる軍が反乱を起こし、ヘディーウのテウフィークに内閣解任・議会召集・兵力増強の3要求をのませる。翌年、英軍の干渉により挫折。
1883年 ロンドンからクローマー卿が赴任、以後24年間エジプトを支配
1905年 前年からの日露戦争で日本が勝利。エジプトの親日感情高まり詩人ハーフィズ・イブラヒムが長詩「日本の乙女」を発表する
1914年 第1次世界大戦開始。オスマン帝国崩壊、英国はエジプトを保護国化する。
1922年 イギリス、一方的にエジプトの独立を宣言、(但し、保護下)し、エジプトは王国となる。
1936年 エジプトとイギリス、同盟条約を結び、エジプトは国際連盟に加盟して、完全に独立国となる。
1939年 第二次世界大戦(〜1945)勃発。エジプトは反英ムード。
1948年 第一次中東戦争
1952年 エジプト革命、ナセルとアメル率いる「自由将校団」が無血クーデターに成功、ムハマド・アリ朝が倒れる。(7月23日)
1953年 共和制へ移行し、エジプト共和国成立、ナジーブ(Muhammad Naguib)将軍初代大統領就任。
1956年 第二代大統領としてナセル(Gamal Abdel Nasser)就任、汎アラブ主義政策。
1956年 スエズ運河国有化、スエズ動乱、第二次中東戦争勃発。
1958年 シリアとアラブ連合共和国を形成。
1961年 アラブ連合共和国解消、国名をエジプト・アラブ共和国へ変更。
1967年 第三次中東戦争(6日戦争)、シナイ半島占領される。(シリアはゴラン高原を占領される)
1970年 ナセル急死、サダト(Anwar Sadat)大統領就任。ソ連よりから米国よりヘ政策変更。
1973年 第四次中東戦争、ユダヤ教の祭日、ヨム・キプールの日(贖罪の日)にエジプト、シリアが先制攻撃。
1978年 カーター、サダト、ベギン、キャンプ・デービッド(Camp David Accords)合意
1979年 イスラエルと平和条約締結(3月26日)
1981年 サダト大統領、イスラム過激派、ジハード団により暗殺される。副大統領だったムバラク(Hosni Mubarak)が大統領就任。
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